どーゆーつもり(笑)

川崎に住む大学二年生。くだらないことを書きたい。

祖父が銃殺されてしまった話。

 

こんにちは。ゆつです。

いきなり重たい話ですが、フィリピン人の祖父が銃殺された話をしようと思います。

この話で、日本のありがたみとか、発展途上国の問題を伝えたいと思ってます。

1週間の滞在だったので、フィリピンの雰囲気とかも一緒に伝えられたらいいなと思ってます。

 

 

僕のお母さんはフィリピン人で、父方の祖父母は僕が生まれた時には亡くなっており、母方の祖父母しかいませんでした。フィリピンには20年間生きて、5回ほどしか行ったことがありませんが、とても可愛がられてたと思います。

 

 

一昨年。僕は某ブラックグルメ回転ずしでバイトしてました。ランチのピークが終わって休憩に入ると、親から一通のLINEが。

 

「お父さんが撃たれた」

 

・・・・・?????????????????

 

全く何のことかわかりません。撃たれたって何?どういうことって感じです。なんなら若干パニックです。話によると、家に何者かが侵入して、祖父は銃で4発撃たれて事切れたそうです。

 

変な汗が出まくりでバイトなんか集中できませんでした。

 

家に帰ると、早速航空券を取って次の日の夜にフィリピンに飛ぶことになりました。

僕自身身内が亡くなるのは初めての体験だったので、どのような心持ちをすればよいかわかりませんでした。最後に会ったのなんて小学5年生です。中学生の頃に行く機会があったのですが、実はフィリピンに行くのがあまり好きではなく断ったんです。なので母は妹と二人で行きました。母が祖父と会ったのはそれっきりです。母はフィリピンの家族とフェイスタイムを使って電話することはよくありますが。

 

フィリピンに着くと、母の姉とその夫が迎えに来てくれて車で母の実家に向かいました。マニラ空港から車で3時間走らせてやっと到着。かなり田舎で、大きめな村です。

 

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実家です。フィリピンの葬式は実家でド派手にやるんですかね。一日中食事が並び、家族以外に親戚、友達、村の人々が誰彼構わず来ます。フィリピンでは土葬が主流で、亡くなって1週間は家に遺体を置いて、身内から友達、知り合いなど多くの人に弔ってもらうようです。

居間には祖父の遺体がガラス張りの棺に入れられていました。そこにいる祖父の表情は穏やかで、まだ生きているような感じがしました。母がそれを見た途端、膝から崩れ落ちて泣いていました。僕は遺体を見てやるせない気持ちになりましたが、涙は出ませんでした。

下の動画は家の様子です。

 

フィリピンにいる間は、いとこたちの面倒を見てました。母が7人兄弟ということもあり、上と下のいとこがとても多いです。いとこがバイクで村を案内してくれたり、子供たちと遊んだりと退屈しませんでした。僕自身はあまり覚えてないのですが、子供たちは僕のことをよく覚えてくれているそうでたくさん話しかけてくれました。タガログ語はわかんないんですけどねw

フィリピンはアジアの中でも英語力の高い国です。英語で話しかけてくれる子もいたので、割とコミュニケーションは困らなかったです。

下はいとこたちの写真とバイクに乗った時の動画です。

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とまあそれなりにフィリピンを満喫していました。しかし、それにしても生活環境が日本人にはきついです。劣悪です。日本の比じゃないくらい蒸し暑いです。冷房もありません。朝起きたら汗でぐっしょりって感じです。シャワーも出ないです。蛇口でをひねってバケツに水をためて、桶で流すのですが、水は鉄臭くて体を洗えた気がしません。飲める水はあるのですが、体に合わなかったのかフィリピン滞在中はずっと下痢で正直しんどかったです。ついでにフィリピンの食べ物もそんなに口に合わないため、結構精神をすり減らされました。。。

とめちゃくちゃ好き放題言ってしまいましたすみません。

久々に、8年ぶりにフィリピンに来て、やはり日本は恵まれた国だなと実感します。それと同時に、日本に生まれて本当に良かったなとも実感します。

フィリピンで過ごしている彼らにはかなり失礼にあたるとは思うのですが、自分がここで生まれてこのような生活をして大人になっていたらと想像すると正直ぞっとします。彼らにとっての「あたりまえ」と自分にとっての「あたりまえ」のギャップがすさまじすぎました。

日本の生活がとても素晴らしいと実感しますし、日本で僕を産んでくれた母親に、そういう点では感謝してもしきれません。環境、インフラって大事ですね。

 

 

 

そうこう過ごしているうちに、祖父の土葬が近づいてきました。土葬する前日の夜に、葬式会社が作った祖父を弔う動画が届いたので、みんなで見ました。

祖父母の写真、家族の写真、自分が小さい頃に祖父にだっこされているときの写真、日本に来た時の写真などたくさんの写真と弔う文?が流れます。

家族全員が涙の渦って感じでした。

僕は祖父に対してそこまでの家族としての感情がなかったというのが正直なところで、シンプルに会う数が少なかったし、小さい頃は母がいなければコミュニケーションもできません。

最近なら親がフェイスタイムしているときに顔見せるくらいの関係でした。

遺体を初めて見た時も、そういった気持ちがないのに泣く方が失礼にあたると思い、泣きませんでした。

 

でも、クサいこと言いますけど、この空間にいた時、祖父が本当に多くの人に愛されていることを感じました。そして自分の母を産んだ父であるということ、血がつながっていることを実感したんです。言葉とか、会う回数とかそういうのは関係なかったんです。僕はいつの間にか涙してしまいました。

 

 

 

この日、母から祖父が殺されてしまった理由を聞きました。

 

祖父は、政治に殺されたというのです。

 

祖父はこの村の村長でした。

あらゆる選挙において、祖父が票を入れる政党や立候補者に村の人たちも票を入れていたそうです。

家族たちの推測によると、それを良く思わない政党や関係者が殺し屋を雇って、殺害させたというのです。

祖父は7月に亡くなりました。フィリピンは学校が9月から始まります。

この時期は、子供を学校に行かせられない父親が、そういった汚れた仕事に手を染めて偉い人にお金をもらうといった人が増えるらしいです。

犯人は今も見つかっていません。フィリピンはインフラが整っていないからです。監視カメラもなければ、交番も近くにはありません。犯人の顔を見るための街灯もありません。

 

そこで捕まえられなければそれで終わりなんです。

 

胸糞悪いですね。

 

 

 

 

 

土葬する当日。その日はよく晴れていました。むしむしの暑さです。

棺は馬車に乗せられ、徒歩10分ほどの集団墓地に向かいます。この日は本当にたくさんの人が来ていました。下はその様子です。

 

 村の人たちですかね。もっと広々した道なんですけど竹下通りくらい人が詰まってます。土葬が始まると、多くの人は解散して、家族だけでその時間を過ごしました。

その時は雑なつくりのお墓でしたが、今は立派なお墓になっているそうです。

 

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というのが大学入学早々の体験でした。僕は大学で経営を学んでいますが、二年次に4つのコースに分かれます。この経験から、僕はグローバルコースを選び、異文化や英語も学んでいます。将来、海外ボランティアや、海外支援するためです。どんな形になるかは今のご時世わからないですが、いつかそういう支援活動をしたいと思います。

 

 

僕がこの記事で伝えたかったことの一つは、貧しさというのは負しか生まないということです。

もちろん、貧しくとも正しく、一生懸命に生きる人もいます。

僕もどちらかというと裕福なお家ではないです。裕福でないから悔しい思いをしたこともいくつかあります。

日本ではある程度の生活水準が保証されていますが、フィリピンではそれすらも保証されない人もいます。この最低の過ちが祖父の結果だと思います。

祖父は犯人と全く関係ないです。悪いことをしたわけではありません。

 

貧しくとも、普通に生きていただけです。

 

もし政治に殺されたことが本当の話なら、本当に悲しいことです。

 

もう一つは、日本は恵まれているということです。

日本でこのような事件があったならこんなにも後味悪くはならないと思います。

あとは生活環境ですかね。

もちろんフィリピンは悪いところだらけではないです。大自然と非日常を味わえますし、マニラなんかはかなり発達していて旅行する分には全然楽しめると思います。

母の実家が田舎すぎるってのもありますが、日本人の感性からはかなり過酷だと思います。まあ慣れたら別ですけどね。

 

この経験で、当たり前に感謝しながら生きる感性を身に付けられたと思います。

日本大好き!!!駄文失礼しました!!!以上!!!